【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.51:専求院(浄土宗)】
【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.51:専求院(浄土宗)】
新町通りの突き当り、誓願寺の山門左手前に専求院はあります。本堂の横に「大飛閣」という御堂があり、聖観世音菩薩像と閻魔大王、脱衣婆像を安置しています。閻魔大王の印象が強いせいか「閻魔さまのあるお寺」で知られ、また津軽八十八カ所五十八番の札所でもあります。寺号の「専求」は専ら念仏を唱えて悟りを求めるという意味で、その由来は文禄年間、藩祖為信に招かれて津軽へと来た良求念夢和尚が新田地方の開発と布教に努め、その功を認められ長福寺を建てた後に、弘前へ来て現在地に創建したと考えられています。
上述した閻魔さまと脱衣婆は明治20年、下新町で織物工を経営していた福島文吉という人物が寄進したもので、こんなエピソードが伝わっています。文吉は囲碁が大変好きで当時の住職とも打つことが多かったのですが、和尚があまりに強くて歯が立たないので、一度怒って二体の像を自宅に引き揚げたことがありました。しかしその夜、家が異様に揺れて一睡もできなかったので、怖くなった文吉は和尚に話して二体をお堂に戻し、拝んでもらったといいます。
また境内の墓地には天明と天保の大飢饉で亡くなった人々の無縁仏の墓があり、飢饉の際、樋の口の弥次衛門という船頭が河原に流れつく餓死者の死体を集めて埋葬、次第に藩士や地区民たちも協力して五つの墓石を建てて供養したものを、昭和39年の城西団地造成の際に移転したものです。
(「こころ 津軽のお寺さん巡り 弘前編」より抜粋。)
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