【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.54:永泉寺(曹洞宗)】
【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.54:永泉寺(曹洞宗)】
禅林街の赤門をくぐり藤先寺の角を曲がって進むと見えてくるのが永泉寺です。境内右手には移転されたときの記念樹と伝えられ、弘前銘木百選にも指定される推定樹齢400年のオオモミジとこれを詠んだ増田手古奈の句碑があります。
その始まりは現在の平川市平賀にあった新屋村の人々が、同じ平川市の金屋地区内に庵を建てて秋田から来た中山正種という老僧を迎えて仏道にいそしんだところ、日に日に信徒が増えたため現在の宗徳寺の末寺になったとされます。その後戦国時代の戦火に巻き込まれて一度焼失するも、旧金屋村の森内左兵衛繁吉が再興し、永泉寺の開基となりました。森内は金屋の集落づくりに努力した開村の功労者でもあり、寺にはその墓碑があります。また他に田中宗右衛門宗久の一族・支族の墓もあります。宗久は為信の身代わりとなって戦死したとされる田中太郎五郎吉祥の子であり、父の遺勲によって二百石を賜って、平賀郡で代官を務めた人です。
現在の本堂は昭和40年から43年にかけて全面的に建て直されたものです。鉄筋コンクリート造りで寺院としては変わった外観ですが、これは雪下ろしが大変なので、雪を屋根にのせたまま冬を越せるように設計したとされます。また永泉寺が現在地に移ってきたのは元和元年(1615年)であり、古い伽藍を解体した際には棟札に「元和元年十月、黒石の棟梁、これを金屋より移転せり」と刻まれていました。
(「こころ 津軽のお寺さん巡り 弘前編」より抜粋。)
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