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【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.52:専徳寺(真宗大谷派)】

【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.52:専徳寺(真宗大谷派)】

 大浦四代藩主為則に招かれた誓圓坊が天文3年(1532年)、大浦城下一町田(岩木町)に建立したのが、今は新寺町にある専徳寺の始まりとされます。西から二番目に位置するので昔は二番寺とも言われました。開基の誓圓坊は兄の広賢坊とともに北海道・秋田を経て津軽へと来て、五所川原の浄願寺を建立したのちに上記の経緯へと至ります。為則は津軽藩祖為信の叔父かつ義父であるため、大浦(津軽)氏とは深い関係にありました。

 二代目藩主の信枚の代には元寺町へと移り、その際に大浦城の西門を拝領して山門としましたが、慶安2年(1649年)の大火で寺諸共焼失してしまい、同4年に現在地へと移転しています。その後も2度火災に遭っていますが、その2度目の焼失の後、文久元年(1861年)に本堂の再建に携わったのが城大工であった堀江伊兵衛と、その息子で後に明治の洋風建築の第一人者と言われるようになる堀江佐吉でした。昭和62年には大柱や内陣をそのまま使用する形で現在の本堂に新築しましたが、今も本堂中央の虹梁に残る竜の彫刻は佐吉の作とされ、彫刻においても優れた才を持っていたようです。

 お寺が面した道路からも見える、境内左手の鍾楼堂には見事な梵鐘が吊られています。梵鐘は元々、正徳4年(1714年)に当時の十世住職了智が願主となって京都で鋳造されたものでしたが、昭和18年には戦時供出されました。現在の梵鐘は昭和48年、親鸞聖人の生誕800年を記念して再鋳造されたものです。

(「こころ 津軽のお寺さん巡り 弘前編」より抜粋。)

#弘前公益社#津軽のお寺さん巡り#専徳寺#真宗大谷派

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