【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.5:貞昌寺(浄土宗)】
【津軽のお寺さん巡り~弘前編 vol.5:貞昌寺(浄土宗)】
貞昌寺は、永禄二年、藩祖為信が生母である深徳院殿桂屋貞昌大禅定尼の霊を慰めるため、平賀・大光寺に建立したのが始まりといわれます。以来、貞昌寺は津軽家の裏方菩提所として藩から寺禄六十石を賜り、手厚い加護を受けました。裏方菩提所とは、奥方や姫君を葬る寺のことをいいます。為信の母、二代政枚の母のほか三代信義の母曽野、信義の側室全久院と娘らが葬られています。
慶長年間、弘前城築城に伴い、元寺町に移されましたが、慶安二年の大火で焼失し、現在地(新寺町)に移転しました。このときの伽藍は承応元年、藩から材木など資材のほか人夫七千人の提供を得て再建しました。ところが文化七年、その伽藍がまた火事に遭いました。カラスが火のついたろうそくを墓からくわえて屋根に止まったのが原因だと言われています。その後明治二十三年、昭和二十六年にも火事で消失しています。
度重なる火災で多くの寺宝も消失しましたが、観無量寿経の世界を描いた絵「観経曼陀羅」や為信が寄進したといわれる本尊の「阿弥陀如来像」などが残っています。特に、「観経曼陀羅」は鎌倉末期ごろの京都から招来されたものと見られ、国宝級の文化財と言われています。
(「こころ 津軽のお寺さん巡り 弘前編」より抜粋。)
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